自閉症者のための定型発達者講座 定型発達者は常に他者に共感したがる
共感;他者の心の動きに対し、自分も同じ様に感じること。
「いや〜もう、私って家事苦手なんですよ」
これに対し、定型発達者はたいていの場合、
「私もけっこうそうですよ」と返す。
ところが「私もけっこうそう」だった人物が、別の人と話していて
「私ってお料理は結構得意なのよ」
と、話していたりする。
いったいどれをその人の考えと信じていいかわからなくなってくる。
他者に共感するのが常である定型発達者はアスペルガー症候群者から見れば、意見をコロコロ変えるように思えてしまう。
実際、意見はそのときどきで共感したい対象に応じてコロコロ変わっているのであるが、その変化に関して定型発達者は「当然」と思っているので、全く意に介さないし、変化(の表明)が理路整然としているようにコントロールしようということもない。
(但し、ここで一応注意しておかなければならないのが、それらの変化には(共感されなくなった)人物への拒否の意志はあまりないのが普通であるということである。)
このような現象は共感性が高い定型発達者ほど現象として大きくあらわれる。また、ビジネスの場面では比較的少なく、プライベートな場面でより多く見られるものと考えられる。
また、定型発達者は二人以上が存在すればどこか共感すべき者がいないか常に探しているような、すなわちかなり強迫的に共感すべき対象を探しているようなところがある。
さて、定型発達者の意見や考えの変化ぶりが自閉者にとってしばしば心理的混乱の原因になるということや、自閉者にとって時として拒否の姿勢に見えてしまうことも全く眼中にないので、自閉者は定型発達者と関わる限り、この手の急激な変化にさらされ続ける事になる。
そこで、自閉者の側でそういったことを知るということによって知識防衛を行うしかないわけであるが、慣れてくると
「定型発達者の意見や考えなんてペラッペラにうすい」
と思えてくるかもしれない。
しかし、ここで再確認する必要がある。
自閉者は「簡単に意見や考えを変えないこと」「変化においても理路整然とすること」を重要視して生きているが、定型発達者は違うのだ。
定型発達者は「変化しないことよりも、より多く共感すること」に重きをおいて生きているのである。
とにもかくにも違うのである。